Somewhereを使いました。 [文化と言葉]
この二つ三つ前の記事で、Someone(Somebody)、Something と言う言葉について書きましたが、
「「『誰か』って誰!?」(笑)」
「Something」
今度は、自分自身がリアルに(と言っても文章でですが)、今度はSomewhereを使いましたよ。
私はFacebookもやっているのですが(お友達は基本面識のある知り合いのみ)、
季節が変わったので、先日自分のタイムラインのカバー写真を変えました。
普段の投稿は、日本語で書きたいから日本人の友達にしか読めないようにしているんですが、カバー写真は「公開」。
写真の説明に英語を書き加えたのでした。
「After I dropped my daughter off at somewhere, I saw beautiful, colorful trees in the whole city. 」
同じ部分、日本語ではこうです。
「長女をボランティアの場所までドロップした帰り、あんまり景色がきれいだったので、・・・」
これ、日本語を先に書きました。
でもこれを英語に直訳すると「ボランティアの場所」の所、
... at the place she worked as a volunteer, とか
... where she volunteered,
となる訳ですが、私は別に彼女がボランティアしていることを書きたいんじゃない。ボランティアはただその場所を通ったきっかけで、書きたいのは
I saw beautiful, colorful trees in the whole city
ということ。
これを読んで「何のボランティアしているの?」と言う会話があっても面倒くさいしw、(日本語ならさらっと書けちゃうけどw)文章も長くなる。文章が長くなれば焦点がぶれる。。。
というので、Somewhere を使いました。
「おお!この間ブログに書いたじゃん!some~~。」と自分で小躍り(心の中で)したのはいうまでもありません^^。
で、英語に直した後、もう一度日本語の方を振り返ってみました。
この「ボランティアの場所」のところ、逆に Somewhere を直訳して「ある所」なんて書くと、なんだか妙にまどろっこしい。 「長女をある所までドロップした帰り、あんまり景色がきれいだったので、・・・」
言葉の調子もなんだか悪くなるし、はっきり言わない理由は何?みたいな感覚も受けるし、「ある所ってどこ?」って突っ込みたくもなるし。。。
・・・この場合、日本語ではある程度はっきり書いたほうが、自然だな、と。
なんだか面白いな。
ボランティア(Volunteer)って書いたほうが突っ込まれそうなのと、書かないほうが突っ込まれそうなのとwww。
これも文化の違いなんでしょうかね?(それとも私が突っ込みたい性分なだけ?w)
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九九 [文化と言葉]
日本語の九九って素晴らしいと思います。
うちの娘たちは、ここでは一応「算数(数学)得意」ということになっていますが、それはひとえに九九のお陰です。
九九は小学二年生で習うわけですが、掛け算って、ご存知のようにその後の算数、数学をやる上でも、日常生活の中でもとても重要な位置を占めています。
割り算だって掛け算がわかってないと割れないし、分数だって、最小公倍数だって掛け算使うし。
うちの子たちはこの掛け算の段階で、ほかのアメリカ人の子供たちがじっくりチャート(九九表)を眺めて、ひたすら覚えるのに対し、
「ににんが四、二三が六、二四が八・・・」と音で覚えているわけです。
「two by two eqaul four.」なんていうのより断然早い。
そんな訳で計算も速いし間違えも少ないし、小学校のうちから余裕を持って算数の授業を受けられるわけですから、苦手意識も持たずに来られています。
以前長女のクラス(小6)で九九の小テストがあって、50問くらい?(中途半端な数だった。7の倍数、49問? )を、長女はクラスで一番、約1分で解き終わり、二番の子がその1分後。クラスで一番遅かったのが8分?
もちろん長女はクラスメートから「すげ~!」という目で見られた訳ですが、
(問数を正確に覚えていないので、なんともいえないけれども)50問1分だったらきっと日本でだったらそんなもんだろうし(もっと早い子はいるでしょう)、もしそうでなくても二番の子がそれより1分も長くかかるなんてありえないと思う。
私は長女ではなく「九九、すげえ!w」と思ったのでした。
このエピソードを日本の知り合いや友達に話すと
「え?アメリカって九九無いの?」という返事が必ず返ってきます。
それに対する私の返答は
「だって、九九って日本語じゃん?」です。
そうなんです。この九九、日本語だからこその必殺技なんですよね。
数字を漢字で表すことができて、さらに読み方も変化させることが出来る。
聞くところによると韓国でも九九のようなものがあるらしいです。
インドは二桁の九九みたいなのがあるらしいけれども、それについては全く知りません。娘たちは「インドのはどういうのだろう?」興味を持っていますが。。
これも一種の語呂あわせか。。。
語呂合わせ利用しない派の私ですが、九九には大変私もお世話になっているのでした。
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語呂合わせ [文化と言葉]
これはあんまりバイリンガルとは関係ないかもしれませんが。。。
日本ではいろいろ覚えるのに語呂合わせを使いますよね。
実はこの方法、私にはあんまり向きません。。というのは、
語呂をあわせるために、わざわざ多くの文字数を覚えるのは「無駄」に思えてしまうのです。。。
「ええ姫が待つ山」なんて覚えるより「愛媛 松山」で覚えた方が短くてシンプルでいいじゃん!!
と思っちゃうのです。
だから歴史の年号も覚えたのは二つだけ。
「いい国(1192)作ろう頼朝さん」(1192年源頼朝が鎌倉幕府を開府)と、
「なっとう」(七・唐)(中国の唐の国は7世紀ごろ)
だけです。「なっとう」はあまりの短さに(内容も正確でないので余り意味が無い)ウケてしまって、その瞬間にインプットされました。
ところが。。。次女がその語呂あわせを使ってしっかり県庁所在地を覚えていることが発覚!
私にとってはまさにカルチャーショックでした。
夏の間一時帰国していたせいもあって、最近「OO県の県庁所在地は?」(或いはその逆)という会話がよくあるのですが。。。
すごい!語呂あわせを覚えていると、その聞いた県(県庁所在地)の名前が入っているフレーズを脳みその中から探し出し。。
「あらま~、つえがしましまね!・・・松江!!」(島根県-松江)
と答えてくれる。
他にも「どんなのがある?」と聞けばすらすらと
「ひがしが大津です♪」(滋賀-大津)
「いいバラの木みとれるわ~♪」(茨城-水戸)
「拍手やまなし、こうふくだ♪」(山梨-甲府)
「岩手のもりもりおかあさん♪」(岩手-盛岡)
「あとね~。。。」「もういいよ^^;。」
という感じに答えてくれます。(これがまたかわいいw)
語呂合わせって、こういう感じに使うのか~。なるほどこれは楽しい。
私があんまり喜ぶものだから、次女もいくつか抜けていたのもほとんど覚えてしまったようです。
この語呂合わせ、日本語(ひらがな)が表音文字だから可能なんですよね。
フレーズにしてしまうと意味の違う言葉になっても、ひらがなに紐解けば、知りたい言葉が隠されている。。。
自分自身はこの効能を実感しないまま大人になってしまいましたが、改めて日本語のよさを知った出来事でした。
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愛しすぎる。。。 [文化と言葉]
英語(アメリカ)では、かなり頻繁に「Love」を使います。
日本語での対訳は「愛している」ですが、そのニュアンスよりももっと軽く使います。
I love him/her! (アイドルでも友達でもペットでも)
I love it! (ものでも行為でも)
つまり日本でいう「大好き~!♡」は「Love」で表すのです。
「好き」といえば Likeですが、「大好き!♡」と言いたい時は「I like it very much. 」じゃ、ちょっとたりない。
もちろん言い方にもよりますけれどもね。 Very にとても力を入れれば伝わるかな?
でも、習ったのは、Love=愛している なので、日本人の私達は、それでもやっぱり本当に使っていいの?と気になります。
なので、Teen真っ最中の長女に確認しました。
問:女性が女友達のことを「I love her!」と言っても大丈夫なの?(同性愛者に見られない?)。
答:女子同士はLove を連発してもOK。みんな普通に使ってるよ。
でも、男子同士では「まずい」らしいですwww。
中学で男子友達が「女子は友達同士でLoveを使い放題だけど、男はどんなに仲が良くっても言えないんだよな。。」とぼやいていたとか。。。(笑/使いたいのか?)
もちろん、大人の女性がだれかれ捕まえてはLoveを連発するのはちょっと違うと思いますが、その人となりをよく知って「彼女のこと大好きなのよ」というときは使っても問題ない。
(ああ、もちろん、ある種の雰囲気を醸し出して言えば、「そのよう」に伝わると思いますがwww。)
・・・とこれは前置きで。
今日次女がお友達の家で遊んできました。
「何して遊んだの?」「ブーツ(その家の子犬)と遊んできた。」
動物は苦手な次女に「もう、触れるようになったの?」
「うん、触れるよ。でも、抱っこはできない。」
「何で?やっぱり怖いから?」
「ううん。。。OO(友達)達が愛しすぎて、だっこすると手におしっこしちゃうの。それがイヤだから。。」
(!?えっと~~。まあ、まだ子犬ちゃんだし、その家のしつけの程度は置いておいて。。。)
愛しすぎて!?!?(笑)
うん、英語では「They love him too much.」だよね。
でもね。
日本語で言うなら「可愛がりすぎて」だよ。。。
こんなに基本的な言葉でも、英語と日本語では言い回し(使う単語)は異なるものなんだな~。と発見した出来事でした。 (確かに「可愛がる」には「愛」の漢字が入っていますがw)
これ、日常単語過ぎて、もし私が英語ぺらぺらだったら気がついたかな??^^;。いや、最近、英語も上達しないくせに日本語の劣化がひどくて困っている私だけど「愛しすぎて」という日本語はあんまり使わないから大丈夫か?
しかし。。。こういう間違えをするってことはつまり、次女はもう頭の中では英語で文章組み立てているってことなのか。。。 対策が必要かしらね???
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「Give a ride=車で送る」? [文化と言葉]
先日私が長女を朝,車で学校まで送っていった日のことを、次女が話した時にこういいました。
「(お姉ちゃんに)Car ride をあげたでしょ?」
耳慣れない語列だったので、ん?となって一回聞きなおしてしまいました。
聞き取れてみればすぐにわかりましたが。。。
でた!「Give」です。(「Give a ride」)
Giveは中学では「与える」と習いました。口語的には「あげる」。
確かに「Give a ride」は、「ライド(乗車?)を与えている」わけで。。。
間違ってはないんですが。。。「日本語ではそういう言い方はしないよ。」と訂正しました。
(そもそも、ライドっていわないしwww)
Giveを上手に日本語に直すのはなかなか高度なテクニックです。
・・・と、このときはそこまでしか考えなかったのですが。。。
今思うと、その言い回し(「Give a ride」)の直訳は「乗せてあげる」でしたね。。。
でもなぜか、私は次女には「車で送った、て言うんだよ?」と訂正していました。
でも、「車で送る」だったら英訳は「Send her to school」。
でも。。。。このシチュエィションだと、(「でも」3連発!/苦笑。つたない日本語お許しを。)
英語なら「Give a ride」、日本語でなら「車で送る」
の言い回しがしっくり来るなぁ。。。と思うのでした。
言葉って奥が深い。やっぱり文化的な要素 が影響しているのかな?。
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雨の名前 [文化と言葉]
英語を使い、日本語との違いなどをいろいろ考えていると、文化によって分野ごとに言葉の種類の多さがちがう。。ということに気が付きます。
例えば雨の表現。
アメリカでは「外の天気どう?雨は?」「うん、降ってきた」
こんな会話での「雨」、ただRainで済ませてしまうことが多いです。「Yes, it's starting to rain.」
日本だと「うん、ぽつぽつね」「小雨だけど」「ざーざー降ってる」「霧雨だけどね」「傘はいらないかな?」「すごい土砂降り」
ただ「雨」ではなく、どんな雨か説明?しますよね。「雨」という単語の変わりに、それを形容する一言が日常的に使われている。
英語にも一応ありますが、使う頻度や数は多くないように思えます。
shower(小降りの雨), drizzle(霧雨), sprinkle(小雨) もあるけれど、普段は「rain」で済ませてしまう。
(土砂降りを表すイディオムで「It's rainning dogs and cats.」というのがあり、これは割とよく使われるそうです。<長女談>)
これはやはり雨の中を傘をさして歩く習慣がないからかな?(都市では違うと思いますが)
(雨の中でも走る(ランニング)人はいるし、駐車場の車から建物まで傘をささずに濡れるのは普通ですw。)
日本では雨の状態によって装備wが変わりますものね。それだけ重要な情報だということでしょう。
住む土地や文化によって言葉の多さが変わってくるのも語学の面白いところです。
「こういう雨の時はなんていう?」なんて雨の日の運転中に問いかけます。
「土砂って言うのは漢字で土に砂って書くのよ。土や砂が降ってくるみたいだから土砂降り」
などと、一応意味をイメージできるように漢字でどう書くか、なんてことも交えながら。
彼女達がそれらの名前を自発的に的確に言えるのかどうかは。。。なかなか日常的に使わないので不明ですが、
どんな雨かイメージはできるようになっていると思います。
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日本文化に触れさせる。 [文化と言葉]
なかなかアメリカで暮らしていると、カレンダーもこちら仕様だし、日本人なら当たり前の行事などもおろそかになりがちです。気持ちは持っていても、どうしてもアメリカの生活習慣の中にうずもれてしまいがちです。
でもやはり、ある国の言葉と文化というのは一対をなすものだと思っているので、できる時にできることを。。
となるべく年中行事を経験させたいと思っています。
まず、子供たちがある程度しっかりしてきてからは大掃除。
普段の手抜きがたたって毎年「どこもかしこもピッカピカ」になるまでには至りませんが、
やはり日本人としてはお正月を迎える心構えは少しは知ってもらいたい。と思って協力してもらっています。
(窓拭きなどは寒いといいながら楽しんでやってくれます。)
時間と心の余裕のあるときのおせち料理。(近年さぼり気味)食材が足りないので一部しか作れませんが、一品一品にこめられた意味を説明します。
正月2日には書初めを。
普通の半紙に書くのですが、一年に一回でいいから筆を持つ。集中して字を書く。
私が子供の頃お習字が好きだったので、その経験をしてもらいたいと思ってここ数年続けています。
人数が多かった頃は日本語ストーリータイムでも、豆まきやひな祭りこどもの日など、特別な日にして紹介したこともありました。
日本語は日本文化の中でこそしっくり来る。。。
言葉のニュアンスなどは文化を知ってこそ身につくのかな?と。。
私は。。。バイリンガルを育てたいのではなく、アメリカで生まれ育つけれども「日本人」を育てたいんだな。。。と今書いていて思いました。
でも今日は感謝祭-Thanksgiving Day。
今日はアメリカの文化を大事にするべく、ターキー始め、サンクスギビングディナーを作ります。
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「お姉ちゃん」と呼ばせる。 [文化と言葉]
「どんなに親が頑張っても、学校に行き始めると兄弟姉妹同士では英語で話すようになる」
ということでした。
ふ~む、それを阻止する為にはどうしたらいいか。。。
1. 学校に上がる前に、姉妹で日本語をしゃべるのが億劫でなくなるくらいに日本語を身につけさせる。
でも、そうは思っていても必ずしも思う通りになるとは限りません。
そこで考えたのが、
2. 次女に長女のことを「お姉ちゃん」と呼ばせる。
これは。。。効きました。
この、お互いの関係性を表す、最も日本語らしい呼び方。
「おねえちゃん!」と呼びかけた後に英語を続けるのは。。。なんとなくイントネーション的に不具合です。もちろん会話の中に入るときも。
そして、この呼び名に慣れる事によって、長女が次女と英語で話すことを拒否するようになったのです。
なぜか。
英語で会話をすると、呼び名はたとえ姉、妹の関係であってもどちらも名前の呼び捨てです。
これが、長女にとっては「妹のくせに生意気!!!」「妹に呼び捨てられるなんてとんでもない!」
という思いを起こさせ、次女が学校に上がって英語を家庭でも使うようになった時に、
断固拒否、日本語で返事をする。。。という、
親にとっても好都合な「姉妹でも自発的に日本語で会話」を実行してくれたのです。
もちろん、周りの友達がいて英語でやり取りする環境では、不快感は感じない(仕方ない?^^;)と思っているようですが。
私はこのアイディアは我ながらよく思いついた!と自画自賛していますw。
自発的な日本語会話。
苦心すべきは、如何に子供達が抵抗なく日本語を学ぶ環境を作るか。。。それがうまく行くとその後の親仕事も随分楽になります。