口の動きを見せる(発音練習) [発音]
アメリカで幼児に言葉を教える時、先生は自分の口の動きを子供に見せて、それをまねさせます。
そういえば、私が発音を直される時もそうだったかも?
うちの長女はプリスクール(幼稚園で)そのように英単語を覚えるからか、
日本語を覚える時も、私の口元をよく見ていたように思います。
私も見られているのがわかった(またその理由も想像がついた)ので、
口の動きを一音一音見せながら、言葉を教えるようにしていました。
彼女が、きれいに日本語を発音できるのはもしかしたらそのせいもあるかもしれません。
日本の演劇をやる人がする活舌の練習「あめんぼあかいな、あいうえお」「あ、え、い、う、え、お、あ、お」などとしないまでもw、
口を見せて「あ い う え お」と発音練習は、時々やっていたかも?
もちろん、子供に嫌がられてはいけないので一時に50音全部やるようなことはしません。
思いついた時に思いついた行を2回ほど?ある程度上手にいえるようになるまで?
そのあたりは臨機応変に。
そういえば、家族ビデオに、長女が次女に同じように「あ、い、う、え、お」と教えている絵があったのでw、私も日常的にやっていたんでしょうね。
英語とは別系統の言語として発音することを習慣付けることによって
うちの子は外国人がしゃべるような日本語にならずにすんだのかな?と思っています。
そういえば、私が発音を直される時もそうだったかも?
うちの長女はプリスクール(幼稚園で)そのように英単語を覚えるからか、
日本語を覚える時も、私の口元をよく見ていたように思います。
私も見られているのがわかった(またその理由も想像がついた)ので、
口の動きを一音一音見せながら、言葉を教えるようにしていました。
彼女が、きれいに日本語を発音できるのはもしかしたらそのせいもあるかもしれません。
日本の演劇をやる人がする活舌の練習「あめんぼあかいな、あいうえお」「あ、え、い、う、え、お、あ、お」などとしないまでもw、
口を見せて「あ い う え お」と発音練習は、時々やっていたかも?
もちろん、子供に嫌がられてはいけないので一時に50音全部やるようなことはしません。
思いついた時に思いついた行を2回ほど?ある程度上手にいえるようになるまで?
そのあたりは臨機応変に。
そういえば、家族ビデオに、長女が次女に同じように「あ、い、う、え、お」と教えている絵があったのでw、私も日常的にやっていたんでしょうね。
英語とは別系統の言語として発音することを習慣付けることによって
うちの子は外国人がしゃべるような日本語にならずにすんだのかな?と思っています。
いちいち直す [発音]
私が英語でどうしゃべっていいかわからない時、或いは何かしらのいい間違いをしている時は、
まさにその時、わかる人に訂正を入れてもらいたい。。。といつも思います。
そのことで会話の腰は折りたくないのですが、私自身の英語力の為にはそのほうがいいと思います。
(ただそんなに都合のいい先生はいないので、そのままサバイバルな会話のまま流れていってしまいます)
できれば自分自身で辞書を引きたいところでもありますが、今は電子辞書で「さっ」と引けるとはいえ、それでも会話をとめてしまうので使わないでしまっています。そしてそのまま何を言いたかったのか、何がわからなかったのか忘れてしまうのです。
言葉、会話は生ものです。「今言いたいこと」だからこそ、その気持ちと言葉が合わさって記憶に残り易いのかな?と思います。
幼児子供の頭はやわらかく吸収がいいといえども、その点は大人と大差ないのではないかしら?
幸いなことに子供の「話したいこと」はそれほど莫大でもなく、文章としては短いので、訂正の介入も簡単です。
自分の子供の言うことだから、不明瞭でも親には理解できてしまいます。が!そこでそのままわかってあげるのではなく(一度話は全部聞いてあげる。これは大事!)、話題を発展させる前に
正しい言い方を教え、言い直させる。
この繰り返しが必要だと思います。
「ん?どう言いたいの?」
「それはね『***』こう言うともっとわかりやすくって簡単だよ」
「ほら言ってごらん?『***』。」
私たち(親)の仕事は言葉を教えることだけではありません。。。「後で~」なんてやっていると親も子供も忘れてしまいますし、それこそ時間をとっている暇なんてない。
気が付いたその時に!いちいち直す。
この意識が日常化すると、日々の言葉の学習がとても楽になります。
まさにその時、わかる人に訂正を入れてもらいたい。。。といつも思います。
そのことで会話の腰は折りたくないのですが、私自身の英語力の為にはそのほうがいいと思います。
(ただそんなに都合のいい先生はいないので、そのままサバイバルな会話のまま流れていってしまいます)
できれば自分自身で辞書を引きたいところでもありますが、今は電子辞書で「さっ」と引けるとはいえ、それでも会話をとめてしまうので使わないでしまっています。そしてそのまま何を言いたかったのか、何がわからなかったのか忘れてしまうのです。
言葉、会話は生ものです。「今言いたいこと」だからこそ、その気持ちと言葉が合わさって記憶に残り易いのかな?と思います。
幼児子供の頭はやわらかく吸収がいいといえども、その点は大人と大差ないのではないかしら?
幸いなことに子供の「話したいこと」はそれほど莫大でもなく、文章としては短いので、訂正の介入も簡単です。
自分の子供の言うことだから、不明瞭でも親には理解できてしまいます。が!そこでそのままわかってあげるのではなく(一度話は全部聞いてあげる。これは大事!)、話題を発展させる前に
正しい言い方を教え、言い直させる。
この繰り返しが必要だと思います。
「ん?どう言いたいの?」
「それはね『***』こう言うともっとわかりやすくって簡単だよ」
「ほら言ってごらん?『***』。」
私たち(親)の仕事は言葉を教えることだけではありません。。。「後で~」なんてやっていると親も子供も忘れてしまいますし、それこそ時間をとっている暇なんてない。
気が付いたその時に!いちいち直す。
この意識が日常化すると、日々の言葉の学習がとても楽になります。
「Apple」ではなくて「りんご」2 [発音]
「最初に覚える言葉は日本語から」にした理由のひとつめは
「日本語は圧倒的に触れる機会が少ないので、その一期一会を大事にしたい」ということでした。
もう一つ理由があります。発音です。
英語と日本語どちらの方が幼児にとって言い易いと思いますか?
apple りんご
red あか
milk ぎゅうにゅう
more もっと
実際に口を動かして言ってみるとわかると思いますが、きちんと発音する為には日本語の方が、口をはっきり動かして、各文字についている母音(aiueo)をしっかり発音しなくてはいけません。
幼児はもともと舌足らずです。
日本にいても、ちゃんときっちり、ひらがな五十音を発声できる幼児はそんなにいないんじゃないかしら?
そんな時に、活舌をしっかりしなくても発音できる、そして周りが理解してくれる言葉が身近にあったら?
将来日本語を話せるようになりたい!なんて思っていない子供は、もちろんそちらの言葉を使うことを選ぶでしょう。
そして親も「日本語はもうちょっと大きくなってからでもいいかな?」と思っていたり、パートナー(子供にとってのもう一人の親)が外国人だった場合、パパ(ママ)にも理解できる共用語を使った方が、めまぐるしい育児の状況では「楽」「便利」だったりします。
が、このことが、実は後で結構な壁になってしまうことが多いのです。
というのは、日本語の発音(活舌)が難しいことで、子供達が「しゃべりたくない」という意識を持ってしまうからです。たとえ、日本語を聞いて理解することができていても。
4,5歳にもなると(子供にもよりますが)、「上手にできないと恥ずかしい」という気持ちを持つようになります。彼らは日々親の話す日本語を聞いていますから、聞き取れます、理解できます、そして正しい日本語の発音というものがどういうものかも知っています。
でも、それまで口にしたことない発音、口の動きを、さて「やってみてごらん」といわれても。。。
それはそれは抵抗感いっぱいなことで。。。。
正しい発音を耳で知っているからこそ、自分ができないことがわかっているのです。
それが嫌で日本語を口にしない(と思われる)子供を何人か見てきました。
言葉は使って何ぼ、使うからこそ身につくもので、発することができないとなかなかその先に進みにくいものです。
逆に、そこに抵抗を持たない子供は、あっていようが間違っていようが、ともかく口に出すので上達が早いですね。(へんなことを言ってちょっと笑われても「うけた?」ととれる子(^^)は語彙もどんどん増えます。)
そんな理由で家庭でバイリンガルを育てたい場合には、照れや恥ずかしさを持たない小さい頃に、まず発音の難しい言葉を仕込む(笑)。ここの場合は日本語から。。をお勧めします。
もちろん、しゃべらなくても理解できている子は、本人が高校、大学などで自分の意思で日本語を習得したいと思った時に、一気にその実力は花開くと思います。ので、ひたすら、自分からは日本語で話しかけつつ「その時を待つ」という手もあります。これも親の根気の一つですよね。
「日本語は圧倒的に触れる機会が少ないので、その一期一会を大事にしたい」ということでした。
もう一つ理由があります。発音です。
英語と日本語どちらの方が幼児にとって言い易いと思いますか?
apple りんご
red あか
milk ぎゅうにゅう
more もっと
実際に口を動かして言ってみるとわかると思いますが、きちんと発音する為には日本語の方が、口をはっきり動かして、各文字についている母音(aiueo)をしっかり発音しなくてはいけません。
幼児はもともと舌足らずです。
日本にいても、ちゃんときっちり、ひらがな五十音を発声できる幼児はそんなにいないんじゃないかしら?
そんな時に、活舌をしっかりしなくても発音できる、そして周りが理解してくれる言葉が身近にあったら?
将来日本語を話せるようになりたい!なんて思っていない子供は、もちろんそちらの言葉を使うことを選ぶでしょう。
そして親も「日本語はもうちょっと大きくなってからでもいいかな?」と思っていたり、パートナー(子供にとってのもう一人の親)が外国人だった場合、パパ(ママ)にも理解できる共用語を使った方が、めまぐるしい育児の状況では「楽」「便利」だったりします。
が、このことが、実は後で結構な壁になってしまうことが多いのです。
というのは、日本語の発音(活舌)が難しいことで、子供達が「しゃべりたくない」という意識を持ってしまうからです。たとえ、日本語を聞いて理解することができていても。
4,5歳にもなると(子供にもよりますが)、「上手にできないと恥ずかしい」という気持ちを持つようになります。彼らは日々親の話す日本語を聞いていますから、聞き取れます、理解できます、そして正しい日本語の発音というものがどういうものかも知っています。
でも、それまで口にしたことない発音、口の動きを、さて「やってみてごらん」といわれても。。。
それはそれは抵抗感いっぱいなことで。。。。
正しい発音を耳で知っているからこそ、自分ができないことがわかっているのです。
それが嫌で日本語を口にしない(と思われる)子供を何人か見てきました。
言葉は使って何ぼ、使うからこそ身につくもので、発することができないとなかなかその先に進みにくいものです。
逆に、そこに抵抗を持たない子供は、あっていようが間違っていようが、ともかく口に出すので上達が早いですね。(へんなことを言ってちょっと笑われても「うけた?」ととれる子(^^)は語彙もどんどん増えます。)
そんな理由で家庭でバイリンガルを育てたい場合には、照れや恥ずかしさを持たない小さい頃に、まず発音の難しい言葉を仕込む(笑)。ここの場合は日本語から。。をお勧めします。
もちろん、しゃべらなくても理解できている子は、本人が高校、大学などで自分の意思で日本語を習得したいと思った時に、一気にその実力は花開くと思います。ので、ひたすら、自分からは日本語で話しかけつつ「その時を待つ」という手もあります。これも親の根気の一つですよね。